霊験あらたかな

楠宮稲荷社の御神木と痔病平癒の赤えい絵馬

赤えい(魚のエイ)絵馬の奉納祈願由来
長田神社は、茅淳の海の入江に流入する苅藻川の河口の上流、北に約550b程の川中の中州、旧字名中島の樟等照葉樹林の繁茂する杜に鎮座する。(現在は2.5km程はなれる。6世紀以前の海抜等高線や池の痕跡から海岸線が推定される。)
現社頭の八雲橋架橋は文化9年(1812)、古来参拝者は川の置石を裸足になり渡っていた。

古伝によると、6世紀頃の初秋、繁殖の為岸辺近くに寄ってきた赤えいの群が、夜の台風による暴風雨で増水した苅藻川を溯り、水でひたひたの境内に入り、近在の人がこれを発見捕獲しようと後を追ったが、御神木「樟」の付近で見失ってしまった。
以来、この御神木「樟」は、神の化身である「赤えい」の宿る処「長田神社摂社・楠宮稲荷社の御神木」と崇敬敬仰されてきた。

昔も今も、赤えいは、瀬戸内海に多く棲み、その繁殖期は夏の終わりから秋の初めであり、当時海浜漁業によって多量に得られる赤えいは、安価で貴重な蛋白源であり、現今の牛肉にも匹敵するものであった。
この美味で貴重な赤えいを食べることを断ち、諸願を掛け祈ったのであるが、その内、腫物(できもの)でも特に痔疾(じのびょうき)に効き目があるとの評判が高くなり、広く信仰されてきた。

絵馬奉納の始まりは、明治25年(1892)頃、楠宮稲荷社の井戸の傍らで茶店を営み、放し飼いの鶏(長田神社の神使)の餌の大豆を売っていた谷本もんと云うお婆さんが、細長い尾の先端に毒のある棘(とげ)を取り除いた赤えいを書いた絵馬を作り、参拝客の願掛けに勧めたのに始まると伝える。
茶店は大正13年(1924)の火災で廃絶、以来神社が引き継いで授与し今日に至っている。

赤えい絵馬に、年令、干支、男女別を書き 御神木周囲の透垣に掛けて祈願するが、あらゆる疾病に効験があるとの病気平癒の深い信仰があるが、その90%は痔疾平癒の祈願であり、楠宮稲荷社は「痔(じ)の神様」と言われている。
痔の平癒を願う赤えい絵馬の奉納者は、主として神戸をはじめ近畿一円に多いが、北は北海道、南は沖縄、又韓国・台湾からの奉納依頼もある。